師匠・芳村伊十七

芳村伊十七

私の師である芳村伊十七は、不世出の名人といわれた7世芳村伊十郎に師事した。現在、名実ともにトップクラスの三味線方の1人である。

 

若い時分の演奏における「鋭さ」は演奏家の中でもいまだ語り草となっているが、師の最大の魅力は何といってもその音色にある。それまでの「三味線」の音色を革命的に美しく変え、芸術品まで昇華させたともいえるだろう。

 

3世今藤長十郎がそのそれぞれ個性を伸ばすために互いに競わせたとされる3人の三味線方は、現在の長唄界においてもそれぞれ個性的な輝きを放っている。駒井義之氏が評したところによれば、「鋭敏な論理性」の今藤政太郎・「力強く豪快」な杵屋巳太郎・「繊細で感覚的」な芳村伊十七とある。

 

師は大和楽家元・大和久満としても極めて重要なポストにある。長唄と大和楽が相互によい影響を与え、自身の創作する作品世界とも相俟って「伊十七楽」(自身のペンネームから「芳賀邦楽」と呼ばれた時期もあった)ともいえる独自の世界を創り上げている。

【作品】

現在までの作曲は約370曲。

代表作『江戸風流』『四季の花』『北斎浮世絵の旅』『京洛の四季』『花吹雪』『雪の道』『かしく道成寺』『大河の一滴』。

 

【代表的な録音】

『大和楽全集』(昭和50年)

『今藤長之・芳村伊十七長唄名曲選』(昭和54年)

『大和楽大全集』(平成3年)

『邦楽ナンバーワンアーティストによる日本の音/三味線/芳村伊十七』(平成3年)

『新大和楽選集』(平成10年)

 

【所属】

社団法人長唄協会

現代邦楽作曲家連盟

コロムビアミュージックエンタテインメント㈱(専属)
東京北ロータリークラブ(元環境保全委員長、元米山委員長)

 

【稽古所】

七葉会(東京)

満つる会(名古屋)

東京浅草組合

大分

ロスアンゼルス

~師を喪って想うこと~

 

師は、平成25年1月2日に逝去いたしました。

余りに偉大な師であったために、未だにその存在感が消えることはなく、実感が沸かないのが正直なところです。今でも柿の木坂のお宅にうかがえば、いつでもお稽古していただけるような気がしてなりません。

 

師を初めて知ったのは、高校卒業を控えた冬休み、たまたま見ていたNHKの「長唄鑑賞入門」という番組を通じてでした。それまで西洋音楽に浸かっていた私に、日本人のアイデンティティを喚び起こさせた『吉原雀』の三味線の音色・・・そのときから私は師の虜になりました。その後、三味線の手ほどきをして下さった杵屋栄富先生が、私の新たな師として示した人物こそ、芳村伊十七その人でした。こればかりは「奇跡」としか言いようのない出来事でした。忘れもしない大学四年生の夏のことです。

 

こうして、師の内弟子として修業の道に入ることとなり、それからの15年は本当にあっという間でした。その間、辛いこともありましたが、師の三味線の音色をいつでも間近で聴くことができるという幸せ・・・これが勉強を続ける原動力となり、何物にも代えることのできない財産となりました。長唄・大和楽問わず、師がお弟子さん方へつける稽古を稽古場の後ろに座ってじっと聴き入っていた毎日が懐かしく思い出されます。あの時間が今の自分を形作っていると信じています。

 

「長唄に対して貪欲でなければならない」―これは師が節目節目に私に話してくださった言葉です。師は与えることに関しては何ひとつ惜しまない人でした。譜面や音源、実際の稽古に至るまで、こちらの求めることにはすべて応じてくださる師でした。そんな大きな人間に出会ったことはそれまでの自分の人生にありませんでした。閉鎖的だと思い込んでいた邦楽の世界に対する偏見が払拭された瞬間でもありました。三味線の稽古は、時間の許す限り、毎日でもつけてくださいました。多忙だった師の人生の時間の一部を割いて、自分に稽古してくださったこと、思い返しただけで有り難く、感謝してもしきれません。

 

私は、演奏家として毎日を生きていらっしゃった師の日々の様子から学ぶことが何より多かったと思います。舞台に出かけられる前には、どんなに弾きなれた曲でも―それが『藤娘』や『羽根の禿』のような定番であっても―必ず浚ってからお出かけになりました。自分もそれにあやかり、必ず実行するようにしています。師の仕事に対する責任感の強さには目を瞠るものがあり、一流の芸術家の在りかた・生き様をそこに見るようでありました。そして、他の多くの方々がおっしゃるように、師は誰に対しても優しく、寡黙で礼儀正しい人でした。その人格があの美しい音色、誰にも真似の出来ない曲想を生んだのだと思います。

 

そんな師を身近に過ごした時間がもう永遠にやってこないという現実と向き合うとき、言いようのないさみしさが心を満たします。

 

病床にあった師が、感謝の言葉を述べた私に対して発した最後の言葉は、「長唄をよろしくお願いします」でした。長唄を正しい形で後世に継承していくことはもちろんですが、私には「長唄の担い手をたくさん育てていってほしい」という風にも響きました。何事も担い手がいなければ、伝えていくことはできません。有り難いことに、冶葉会の門弟も皆それぞれの意志をもって稽古に励んでくれています。私は、ここに一生涯を賭けて挑戦し続ける意義を見出した心持ちでおります。

 

「音」にこだわった師の最後の内弟子として恥ずかしくないよう、私も「音」に人生を捧げて参りたく思っています。