7世芳村伊十郎

7世芳村伊十郎

7世芳村伊十郎(1901-1973)は、本名・太田重次郎。東京・浅草に生まれる。

8世伊四郎の門弟となり、のち養子となる。前名は、2世辰三郎・4世金五郎・9世伊四郎。昭和25年(1950)7世伊十郎を襲名する。3世杵屋栄蔵が「一代限り」として、「伊十郎」の名を許したのである。

芳村・杵栄派(堀留派)による芝居の全盛時代にあって、『勧進帳』『京鹿子娘道成寺』などを得意とし、一世を風靡した。

長唄協会理事長、同会長を勤め、昭和31年(1956)には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、戦後長唄界のトップであり続けた。

俗に「伊十郎全集」と呼ばれる「芳村伊十郎長唄大全集」(コロムビア)は、合三味線に、師・杵屋栄蔵をはじめ、杵屋栄二・杵屋栄次郎・今藤長十郎・山田抄太郎・杵屋五三助(現・杵屋五三郎)らを揃えて録音された。現在でも、舞踊家・長唄演奏家・愛好家の間ではバイブルとして圧倒的な存在感を示している。

芳村伊十郎といえば、その声量豊かな美声も去ることながら、俗に「伊十郎節」と言われる絶妙の節回しに大きな魅力があった。当時としては近代的ともいえる頭脳的解釈をもっていたことにも驚きを覚える。また、長唄界を超越したスター性を発揮したところに、最大の魅力があるといえよう(カラヤンがクラシック界にとどまらないスター性をもったところに非常に似ている)。長谷川一夫・美空ひばりなどと同列に扱われる邦楽演奏家というのも空前絶後、伊十郎だけであろう。
その芸風は、「豪胆と繊細を兼ね備えた圧倒的な存在感に、意外性と偶然性による演奏を展開し、常に新鮮であった」(稀音家義丸)という。7世尾上梅幸が「牡丹の花が咲いたような」と形容したところも、言い得て妙である。
人間的な魅力についても、話題が尽きることはない。私の師である、芳村伊十七は折に触れて、師匠である伊十郎のことについて、話を聞かせてくれるが、興味はつきない。山川静夫氏(当時NHKアナウンサー)が、雑誌「銀座百店」に寄稿したエッセイ『伊四郎地蔵』に、知られざる伊十郎の姿を垣間見ることができる(現在は、文庫『歌右衛門の疎開』に所収されている)。