歴代の芳村伊三郎

初世(1719-1805)
江戸長唄・芳村派の始祖。初世杵屋正次郎(三味線方)の門弟で、1780年に江戸市村座に初出演、1787年に立唄となり、1794年に初世芳村伊十郎に名を譲り、引退する。天明~寛政にかけて活躍した。

 

2世(1735-1820)

初世の門弟。建具職人から転身した。初世芳村伊十郎が1794年に襲名する。1798年に立唄。俗に「尾張町の伊三郎」とよばれる。

 

3世(1754?-1833)
2世の門弟。鍛冶職から転身した。初世芳村伊四郎、2世芳村伊十郎、2世坂田仙四郎を経て、1824年に3世を襲名する。俗に「中村屋平蔵」とよばれ、優れた門弟を数多く輩出し、芳村派繁栄の礎をつくった。

 

4世(1800-1847)

幼名、大助。上総の生まれで、芳村伊千五郎を経て、1846年に4世を襲名する。歌舞伎「与話情浮名横櫛」(「切られ与三」)のモデルとなったことでも有名である。

 

5世(1832-1882)

本名を石川清之丞という。江戸麹町番町の生まれで、旗本石川八五郎の次男。3世芳村伊十郎(後の2世吉住小三郎)の門弟。4世伊三郎没後、17歳で伊三郎家の養子となる。1850年に江戸河原崎座で初舞台。1856年に師の名であった4世伊十郎を襲名。1851年に森田座の立唄となり、1859年に5世を襲名。「伝馬町の伊三郎」とよばれた。2世松島庄五郎とともに幕末から明治初期にかけての代表的な唄方である。

 

6世(1823-1902)
本名を芳村金五郎、幼名を万吉といった。江戸新宿新町の生まれである。29歳で、3世芳村伊四郎の養子となり、1859年に守田座にて師名の4世伊四郎、1860年に5世伊十郎を襲名。1875年に新富座の囃子頭に就任。1893年に6世伊三郎を襲名。住所にちなんで「銀座の伊三郎」と通称される。

 

7世(1855-1920)
本名を芳村桂次郎という。6世伊三郎の次男であるが、悪声のため早くから三味線方に転向。1872年、杵屋敬次郎の名で三味線方として舞台に立つ。1876年、8世杵屋六三郎の門に入り、杵屋六之助を名乗る。1887年に立三味線。1893年に6世伊四郎を襲名、1904年に7世を襲名する。

 

8世(1858-1935)

本名、鵜沢徳蔵。5世冨士田千蔵に入門、のち5世伊十郎の門弟となる。3世金五郎、5世伊四郎を経て、1893年(明治26)に6世を襲名する。豪快な芸風で、とくに大薩摩物を得意とし、明治後期から昭和初期にかけて長唄界の第一人者となった。1922年(大正11)に8世伊三郎の名跡を贈られたが、これを辞退し、伊十郎のまま芳村家元を相続した(「8世伊三郎こと6世伊十郎」と称していたらしい)。

 

9世以降
9世伊三郎は、3世杵屋栄蔵が預かり、兼名した。10世伊三郎は、9世の妻であった三味線方の杵屋恵津子が1976年(昭和51)に襲名する。その3年後、孫娘婿にあたる5世金五郎に伊三郎名義を譲り、自身は3世芳村遊喜と改名する。現在の芳村家元は、11代目伊三郎である。