『鷺娘』(正本)
『雛鶴三番叟』(稽古本)
長唄の事実上の完成は、享保~宝暦年間(1716-63)になってからのことである。
初代瀬川菊之丞・初代中村富十郎など、上方下りの女形の演じる所作事(舞踊)が、江戸の人気を集めた。その全ては長唄を伴奏とするものだったという。以前までは、江戸らしい快活な「二上り」の小曲が中心だったが(「長唄以前」の項目参照)、この頃から上方風の優美な「三下り」の曲が少しづつ姿を見せるようになる。
女形舞踊の最高峰ともいうべき『京鹿子娘道成寺』は数ある「道成寺物」の集大成ともいえる作品で、宝暦3年(1753)に初代中村富十郎が初演し、大成功を収めた。このほか、初代瀬川菊之丞が演じた『風流相生獅子』や『枕獅子』、初代中村富十郎の『英執着獅子』などの「石橋(獅子)物」をはじめ、『水仙丹前』『鷺娘』(『柳雛諸鳥囀(やなぎひなしょちょうのさえずり)』)などもこの時期に作られたものである。
女形舞踊が隆盛を極めたこの時期は、長唄にとって最初のブームであったといえよう。ちなみに、江戸生まれ江戸育ちの生粋の江戸長唄演奏家によって長唄が演奏されたのが、享保12年(1727)といわれている。かつては、この年をもって「長唄元年」とする学説もあったが、現在は学界の統一意見として、享保16年(1731)の『無間の鐘』が正規の長唄第1号とされている。
【その他の代表曲】
狂獅子・傾城道成寺・晒三番叟・三勝道行・高尾懺悔・雛鶴三番叟・百千鳥娘道成寺