西洋音楽への憧れ

長唄との出会いについて触れる前に、自分と音楽との関わりから話し始めなければならない。特に家庭が音楽一家というわけではないが、両親とも音楽好きであることは否めないようである。

 

自分の記憶にある「音楽」との出会いは、祖父と毎朝仏壇に向かって唱えていた「般若心経」がはじめだったのかもしれない。木魚をポクポク叩きながら自分はお経を音楽として楽しんでいたような気もする。また、父が当時謡曲を嗜んでいたこともあり、幼稚園くらいの頃から「鶴亀」「橋弁慶」など一緒に謡っていた記憶がある。

 

そんな父が所持していたクラシックのオムニバスLPを好んで聴き始めたのが小学校4年生。オーケストラ音楽の素晴らしさに憧れた少年時代であった。

東京都アンサンブルコンテスト

東京都アンサンブルコンテスト

それが「演奏する」行為に結びついたのは、中学生になってからである。入学式に鳴り響く吹奏楽の堂々たる迫力に圧倒され、吹奏楽部への入部を即決した。最初、希望した楽器はホルンだった。あの美しい形状と甘くまろやかな音色に憧れていたからである。が、思うようにはならないもので、空きのあるチューバもしくはファゴットを薦められた。

 

チューバは見た目が重そうだったので、しぶしぶはじめたファゴットであったが、これが自分の音楽的好奇心を充分に満たしてくれる魅力的な楽器だったのである。楽器を指導してくれる先輩も不在という状況でほぼ独学で楽器を習得していった。その過程がなんとも楽しく、高校卒業までの6年間、西洋音楽にどっぷり浸かった日々を過ごすことになる。

 

途中、ヴァイオリンやサクソフォーンをかじったり、ここで自分の音楽的基礎が形成されたといってもよいだろう。とくにサクソフォーンでは、当時の先輩後輩に恵まれ、アンサンブルコンテストにおいて東京都大会金賞受賞という快挙を成し遂げた。

「演奏する」ことと「鑑賞する」ことは音楽の楽しみの両輪である。

 

中高の6年間、クラシック音楽の鑑賞にも同じだけの情熱を注いだ。中でも、「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」というオーケストラの魅力に取り憑かれ、中学2年のときに日本ウィーン・フィルハーモニー友の会(ファンクラブ)に入会して、もう20年になる。

 

当時から収集したCDも現在は1000タイトルを超えているが、クラシックの世界は汲めども尽きぬ深さがあり、つきつめていくと民族文化論に行き着くのである。そこである種の限界を感じたのも事実である。モーツァルトやJ・シュトラウスの音楽をウィーン・フィルが演奏したもの、ドイツのオケが奏でるブラームス、フランス出身のピアニストによるラヴェルやドビュッシー、ロシアの指揮者が振るチャイコフスキー・・・どれも絶品、比肩するものがない。それはその風土で育った音楽を、まさにその土地の人間が演奏しているというだけの事実に他ならないのであるが、これがある意味「答え」であった。

 

日本が誇る世界的指揮者である小澤征爾が「僕はモルモットなんです」と話す有名なコメント、つまり東洋で生まれ育った自分が、西洋音楽の世界でどれだけ通用するか実験材料として音楽をやっていると言っているのだ。あの小澤にしてそうである。

 

私はクラシックを一生涯の「趣味」とすることに決めた。