【長唄三味線の楽譜】
現在通用している長唄三味線の楽譜には以下のようなものがある。
①文化譜(杵家弥七編)
②佐吉譜(杵屋佐吉編)
③東吉郎譜(杵屋東吉郎編)
④栄左衛門譜(杵屋栄左衛門編)
⑤研精会譜(吉住小十郎編)
⑥青柳譜(杵屋弥之介編)
⑦栄二譜(杵屋栄二編)
①~④はいわゆる「勘所譜」である。このうち、最も普及し、初心者でも学習しやすいのが、タブラチュア形式(いわゆるTAB譜)を用いて書かれた?文化譜である。しかし、これは押さえる勘所(ツボ)を表したものにすぎない。学習のしやすさ・わかりやすさは最大の長所であるが、音名を表しているわけではないので、西洋音楽の五線譜に通用するものではない。三味線のみに使えるものである。三味線自体が移調自由な楽器であるので、便利といえば便利であるが、そこに留まる。
⑤~⑦は音高そのものを示した楽譜、いってみれば西洋音楽の五線譜と同じ意義を持つ。この中で最も普及しているのは、⑤研精会譜(いわゆる研譜)であろう。個人的には、私はこの譜が非常に苦手で、なかなか慣れない。文化譜に慣れているということもあるが、やはりいまいち不合理なのである。一番不便さを感じるのは、糸の区別が瞬時に判断できかねる点である。
その意味で、私は堀留派で用いられている⑦栄二譜の形式を推奨したいのである。
【杵屋栄二と栄二譜】
杵屋栄二(1894-1979)は、堀留派の三味線方で、3世杵屋栄蔵に師事した。昭和12年より吉右衛門劇団の邦楽部長をつとめ、昭和39年に、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。古曲・稀曲の復曲に尽力し、それらを自身の考案した「栄二譜」に記録したのである。
「栄二譜」は、基本的には研譜と同じ形式であるが、数字ではなく文字を用いる。研譜の「1/1#/2/2#/3/4/4#/5/5#/6/6#/7」を「ヒトフタミヨヤイツムネナ」と数の数え方の言い回しになぞらえて表している(研譜との互換性もあり機能的である)。さらに、栄二譜の最も優れている点は、糸の判別を文字の書体によっておこなっていることである。すなわち、3の糸をカタカナ、2の糸をひらがな、1の糸を変体仮名であらわすことで、糸の判別を容易にしている。
C(1)→ ヒ―ひ―比
C#(1#)→ ト―と―止
D(2)→ フ―ふ―夫
D#(2#)→ タ―た―多
E(3)→ ミ―み―美
F(4)→ ヨ―よ―与
F#(4#)→ ヤ―や―也
G(5)→ イ―い―ゐ
G#(5#)→ ツ―つ―川
A(6)→ ム―む―無
A#(6#)→ ネ―ね―年
B(7)→ ナ―な―奈
西洋音楽の音名(C/C#/D/D#/E/F/F#/G/G#/A/A#/B)が、研精会譜(小十郎譜)でいうところの(1/1#/2/2#/3/4/4#/5/5#/6/6#/7)である。栄二譜はこれを上記のように表す。前に述べたが、1つの音に3種の書体があるのは、書体の違い=糸の違いであるからである。3の糸をカタカナ、2の糸をひらがな、1の糸を変体仮名(ここでは変体仮名になる元となった漢字で代用する)で表記する。
よって、基本の3調弦は次のようになされる(3-2-1の順で)。
本調子 ナ―み―奈
二上り ナ―や―奈
三下り ムーみ―奈
これに付随する補則記号は、三味線文化譜に用いられているものとほとんど差異がないので、ここでは省略する。
同じ文字に3種類の仮名を持つ日本語ならではの特色に着目した点が「栄二譜」の最も優れた構想であろう。これにより、ローマ数字で補っていた研譜のわかりづらさが解消されている。スペースも少なくて済むことから、昔から芝居の附帳などに多く用いられてきた。瞬時に手を書き取らなければならないような状況では、もっとも対応力のある譜面形式ともいえ、今後見直されるべき楽譜であると思う。なにより、数字によらない「日本語で書かれた楽譜」というところに最大の魅力を感じる。これも遺していくべき文化遺産である。近い将来、保存・普及のために尽力できたらと目論んでいる。
下に掲載の自筆譜は、「越後獅子」の冒頭を記したものである。興味を持たれた方は、研精会譜と比較してみると、理解が容易であろうと思われる。ご意見・ご質問等あれば随時受け付けているので、ご遠慮なくお寄せいただきたい。他流の栄二譜愛好家が増えることを期待している。