人情本の特質

2006/06/22
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人情本は、近世末期に流行した通俗小説の1つである。為永春水の『春色梅児誉美』がその代表作とされる。この人情本の特質を論じる上で、先行ジャンルからの影響を考える必要がある。その2つの柱が、写実的な「洒落本」と、伝奇的・勧善懲悪的な「中本型読本」である。

 

まず洒落本との関わりを考えてみよう。「滑稽本が洒落本の滑稽性を肥大化させたものなら、逆に洒落本の滑稽性を払拭し、中・後期洒落本の感傷的な真情主義を、市井の若い男女の恋愛に移したのが(中略)人情本である」「洒落本の『通』の理念に対して、人情本では『いき』『あだ』の美意識が対置されている」(別冊国文学『古典文学史必携』)」と人情本は位置づけられよう。形式的には、話が遊里外にも及んだために量的に増加し、連作の形をとるようになった。表現技法としては、洒落本の会話主体の描写性を受け継いだ。会話文と地の文を対等に扱うことにより、分かりやすい平明な表現を試みたのである。ここには、当時流行の演劇・音曲が関連していると思われる。人情本の起源といわれる『明烏後正夢』が新内節『明烏夢泡雪』の後日譚であること、演劇好きの婦女子を読者に想定していたことからも推察できる。

 

歌舞伎狂言や浄瑠璃からの影響は、文政記の人情本に見られる。「人情本の最も至れるものは、狂言、浄瑠璃の筋をさえ必要としない。筋よりは、最も扇情的な、最も抒情的な場面と場面を、何かの形で連想させればよい。問題は一部に於ける趣向の起伏消長でなくして、愁嘆と艶綺の1ポントの選択である。作者の表わそうとするものは、義太夫節の一場面の情緒では、あまりに重きに過ぎる。もっと軽い、もっとさらりとした心意気であった」(山口剛「人情本について」)。天保期の人情本が演劇・音曲から脱した契機を、明快に説明しているものである。恋愛・人情の葛藤は、地域的情緒が加えられることにより、さらに洗練された。『春色梅児誉美』でいうところの深川・浅草・向島である。これらの情緒と、洒落本から受け継いだ会話主体の描写性が共存するところに、人情本の特質の一端を垣間見ることができる。

 

「中本型読本」からの影響も考えてみよう。ここからは、構成・ストーリー性といった特徴を受け継いだ。半紙本型読本に比べれば、中本のスタイルは人情本に好都合であったようである。「文章を少くして、会話を多くすること、急所だけをさらりと述べて、事件の詳細を語らないこと、これが読本と区別する人情本の表現様式であった。たまたま説明の詳細を要する場合も、よいほどにうち切る。それでももの足らぬおそれがあれば、一応の弁解をそえる」(山口剛・先掲)とあるように、読本の姿勢を踏襲しながらも、叙述においては全く逆の方向に進もうとしているのである。この点においては、「世のおかしみを傍観的に求めるのみでなく、あわれと情と、幼稚ながらも直接に人生問題に何か関したものを提出しようとした。そこに読本や合巻側からの構成や所謂勧善懲悪的態度をかる所があった」(中村幸彦「人情本と中本型読本」)ともいわれる。いずれにしろ、読本から受けた叙述性はそのまま人情本の特質ともなり得たのである。

 

人情本の特質は大きく2つ(描写性と叙述性)であろう。しかし、これは形式・表現の面からみた特質であって、作品の特質はまた別にあると考えたほうがよかろう。前に掲げたように、「市井の若い男女」を登場人物として据えたことは、最も注目すべきところである。これらを受け入れた(作品の対象となった)読者を抜きにしては考えられないことでもある。

 

専ら年若い婦女子を読者に予想したとされる人情本だが、その性格はあらゆる分野に通じている。「かたがた読者の希望に応じて、流行歌の紹介をしたり、スタイルブックの役目をしたり、世間のトピックを報告するにも、自由な伝統をこの書型が性質としてもっていた」(中村幸彦・先掲)というのは、人情本の特質を考えたとき、当然現れるべきものである。また、「本文の情景を鮮に見するために、見ひらき一丁、或は半丁のさし絵はおろか、本文の中に、人物なり、器具なりをあひしらふ意匠に見るべきものが多い」(山口剛・先掲)とあるように、表紙・挿絵・口絵などの美しさも流行を助けたようだ。

 

このように多くの顔をもつ人情本は、当時の「総合情報誌」の役割を担っていたのだろう。これ以前にも、リアルタイムに世間を描いたジャンルは存在した。が、ヴァリエーションという点において、人情本に敵わなかっただろう。洗練された描写性・叙述性を特質としながらも、時勢に柔軟に対応した人情本は、あわただしい世の中にあって一際輝くメディアであったと想像できる。